韓国視察(4月21日〜23日)で考えたこと

2008.06.13 Friday|過去のブログしんじ

遅ればせながら、韓国視察で考えたことを記したいと思います。
視察を通じて一番考えさせられたことは、「国を守るとは・・」という根源的な課題です。戦後日本では、戦争放棄を謳った憲法9条を信奉する勢力が永きに亘り教育界を牛耳りました。現在の「平和国家」日本でも、依然として軍事面で国の守りを考えることは異常と思われかねませんし、また日常生活ではそれを考えるきっかけすら持ちにくい環境にあると思います。しかし、当然のことながら考えなければならない課題です。

どこからも武力侵攻されないことを前提に「平和」を唱え武装解除をするなどという愚かな考えは論外であり、緊迫する東アジア情勢の中で、「専守防衛」で果たして国を守れるのか、また健全な国防意識を持つ国民をどう育てて行くのか、という議論が早急に必要になってきていると思います。

さて、視察のことに話を戻します。韓国と北朝鮮の間の軍事境界線上にある板門店に行きました。ここは半ば観光地化していますが、韓国と北朝鮮はいまだ停戦状態に過ぎず、(もちろん)韓国側からこの軍事境界線を含む非武装地域に到着するまでに数々の軍事施設や訓練に励む在韓米軍の兵士を見ました。何時来るか知れない戦闘に備えて、日々訓練しています。この辺りは、機密上、写真撮影が禁止されていました。

また、韓国の国立墓地「顕忠院」へも参りました。そこでは、朝鮮戦争の犠牲者を中心に国のために亡くなった人々を祀っています。こうしたことは世界の常識ですが、後世の国民が先人の遺志をどれだけ引き継いでいるかが、国力の一つの指標だと感じました。

戦後日本には、歴史観・国家観で大きな歪みがあります。祖国を愛することも誇りに思うこともできず、その歴史や文化からも束縛されない(と思い込んで、ありもしない)「自由」を求める人や、そこまでではないにしても国家というものを意識できない人が多いというのが現状です。

しかし、現実の世界は、国家単位で政治という覇権争いの渦中にあります。その中で、国民を統合する中心を失った国家は、非常に脆く危ういものです。我々は、国を守るとは、守るべき価値とはという根本的な問いからもはや避けることのできないぎりぎりのところにいるのだという自覚を強く持たねばならないと、改めて考えさせられました。


二丿湯しんじ通信 第2号

2008.06.01 Sunday|過去のブログしんじ

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